【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート2
前回の法明寺に続き、今回は鬼子母神の方をご紹介します。法明寺から少しだけ離れたところにある鬼子母神も猫ちゃんがたくさんいるスポットだよ。猫ちゃんを追いかけてカメラを構える方もたくさんいらっしゃいました。
さあ、鬼子母神編にまいりまーーーす♬
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雑司が谷 鬼子母神
— なにわ (@naniwa08) 2018年2月16日
阿吽像
雑司が谷の鬼子母神さんは、江戸時代からの建物が東京大空襲や関東大震災を生き延びて残っている貴重な建物だそうで江戸時代の人がここでどんなお願いをして景色を見てたのか何て取り纏めもないことを考えてボケ~とこの前してましたw pic.twitter.com/UsYwgJqhph
おはようございます
— CONCO (@BRIGITTEkira) 2018年2月15日
今日もお仕事頑張ります!
大きな木は小さな事にくじけない
勇気と強さをくれるような気がします
雑司が谷鬼子母神の大銀杏
東京で3番目に大きいそうです?
今日も素敵なことがありますように#iPhone越しの私の世界 #鬼子母神の大公孫樹(おおいちょう) pic.twitter.com/mLBGl0OXEE
本日の‟ちぇりー”散歩。
— 映画『ちえりとチェリー』公式 スローシネマにて上映中! (@chieriandcherry) 2018年2月13日
今日は、雑司が谷の鬼子母神に来てみました。
安産祈願で有名な所ですね。
鳥居がたくさん並んでいる様子は、異界への入り口のようで、
少し特別な空気感にドキっとしました!
帰り道では、久しぶりに「としまななまる」ちゃんとも遭遇 ♪#ちえりとチェリー pic.twitter.com/sZ7ppgJOQT
【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1はこちら
法明寺の飛地境内にある鬼子母神
ケヤキ並木道を通って鬼子母神へ
参道を進みどんつきを左へ行くと鬼子母神につきます。ちなみに、どんつきを右へ進むと大鳥神社へ行けます。
法明寺でだいぶフラフラしたこともあり、時間的に結構ギリギリで巻いて参拝しました。
鬼子母神へ入るとすぐある仁王像。写真の仁王像は口を閉じているので吽形像だね。
鬼子母神の仁王像もいい役目を果たしているようで、めちゃめちゃ怖い。
そびえ立つ天然記念物の銀杏・公孫樹
鬼子母神へ入ると一番に目に入るのがとってもとってもとっても大きい銀杏。ちなみにイチョウなので銀杏なのだけど、雄株なので銀杏はならないんだって。
この銀杏・公孫樹は室町時代に日宥が植えたと言われていて、ということは樹齢600年以上の代物。ハー、600年前からこの雑司が谷を見ているって、ロマンな話だね。
あともうひとつ気になるのは『公孫樹』。『公孫樹』がイチョウということを知らなかったので、鬼子母神の境内にあるイチョウについた名前なのだと思っていたよ。犬につけるポチみたいに。
でもそれは勘違い。イチョウ(銀杏)の別名で、『孫の代に実がなる樹』だから『公孫樹』という別名が付いたのだそう。(いちょうと入力して公孫樹と変換が出るー!)
おそらくおそらくおそらくですが、室町時代頃に中国から伝わったらしい。ふうううん!
武芳稲荷堂
続いて公孫樹を囲み、鳥居の朱色がド派手に目立つ武芳稲荷堂。石碑には、元々は武芳稲荷神社が先で、武芳稲荷神社の境内に鬼子母神堂が建てられたとあり、創建されたのがいつかは不明ではあるものの、こちらがメインみたい。
神様の使いである狐が囲われているのはなぜだろう。過去、壊されてしまうとかイタズラされたとかあるのかな、少しかわいそうな気持ち。
祀られているのは倉稲魂命(ウケミタマノミコト)という穀物の神様だそう。年に3回、開運出世、除厄得幸の祈願が行われているそう。
金剛不動尊が祀られている法不動堂(のりふどうどう)
稲荷堂の右手に法不動堂があって、金剛不動尊が祀られているのだそう。
それにしても、『のりふどうどう』初めて聞きました。なぜ『のり』が付くのか調べてみたけどわからぬまま。色々解説したパンフレットでも作ってくれたらいいな、なんて思ったり。
一字一石妙経塔というのは、仏教の経典の文字を石に書いた写経の一種で、室町時代から江戸時代に流行していたらしい。写経する石は親指くらいの小さいものから色々あるそうで、つまり法不動堂横の一字一石妙経塔は塔というくらいだし、だいぶ大きいものなんだろうね。または、この一字一石妙経塔の周りに小さい一字一石経があったという意味で塔なのかな。
鬼子母神堂
境内の真ん中に構える鬼子母神堂。
ん、よく見ると。鬼じゃない。鬼の上の点がないの。法明寺の鬼子母神は、点がないことで有名だそう。その意味としては、ホームページの由来と歴史の一部に記載がありました。
鬼子母神堂の由来と歴史
鬼子母神(きしもじん)のご尊像は室町時代の永禄4年(西暦1561年)1月16日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の地の辺りより掘りだし、星の井(清土鬼子母神〈別称、お穴鬼子母神〉境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものです。
東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、ひそかにご尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、意に反してたちまち病気になったので、その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。
その後、信仰はますます盛んとなり、安土桃山時代の天正6年(1578年)『稲荷の森』と呼ばれていた当地に、村の人々が堂宇を建て今日に至っています。
平成28年7月には国指定 重要文化財になりました。
鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっていますが、もともとの来歴には深いいわれがあります。
その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産みました。
しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。
お釈迦様は、その過ちから帝母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまいました。その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。
当山の鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しいお姿をしているので、とくに角(つの)のつかない鬼の字を用い 「雑司ケ谷鬼子母神」と尊称しております。
法明寺の鬼子母神は美しく優しいということのよう。引用:鬼子母神
国の重要文化財に指定されているくらいなので、管理・維持は大変なのだろうね。お金のやりくりだって大変だろうなと思って調べて見たところ、文化庁の文化財補助金交付一覧というページを発見。文化財保存事業費はすごい量があったので、鬼子母神堂前についての記載を見つけることはできませんでした。(鬼子母神堂が重要文化財の指定を受けたのは平成28年2016年だからまだないのかな。)
例で分かりやすかったのが、豊島区のお隣の同じく重要文化財に指定されている護国寺。平成26年度第1回(4月1日付)の記載で、「護国寺 護国寺本堂及び月光殿 建造物防災施設 57,000,000」(単位は円)というもの。すごい額の補助金ですが、さすがにこれくらいをしないと維持していけないということなのだろう。そして、重要文化財に指定されることで、私財で管理・維持してきたところ国の補助が受けられることになるメリットがあることを知りました。国全体で守ろうというのはステキよね。
参考:文化庁 文化財補助金等
角のない鬼子母神像
上述した角のない鬼子母神像が、鬼子母神本堂の隣にあったよ。隣にあった石碑は、山岡鉄舟の書が彫られているそう。彫ってある内容については、こちらのサイトで紹介されていたよ。
近隣の谷中(台東区)に住んだ無刀流と書の達人、山岡鉄舟(鉄太郎)の筆による碑も在る。
「菩薩清涼月遊於華章空【衆生心水浄菩薩影現中】」。
あなたの心が清水のように清んでいれば、自然と仏様が現れますよ。
ひたすら信心(信仰)すれば、仏様の心(境地)に至りますよ。
大黒堂で食べられる鬼子母神名物のおせんだんご
境内には大黒堂というお店があって、名物のおせんだんごをいただけるんだって。今回訪れた日はあいにく閉店。毎週日曜日と縁日(8日、18日、28日)に営業しているんだって。
『おせんだんご』の名前の由来は、鬼子母神に千人の子どもがいたことにあやかっているみたい。いっときは、おせんだんごの販売は終了していたらしいのだけど、羽二重団子本舗澤野修一社長(根岸にあるだんご屋さん:株式会社 羽二重団子)により復活したんだって。
江戸時代には参拝される方が境内で休むときや鬼子母神へ参拝したお土産として親しまれたということで、時代もののドラマや映画で、休憩にお茶屋によってお団子を食べているシーンがあるけど、かつてまさにそんな感じの場所になっていたことを想像するよね。お茶屋の看板娘がいたのかな〜。
ウイルス感染症拡大防止に向けた国や自治体からの要請により、営業時間などが変更になっている場合がありますのでご注意ください。
スポット情報
大黒堂
- 03-3982-8347
- 毎週日曜日と縁日(8日、18日、28日)の11:00-17:00定休:月-金
- 東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20
- 鬼子母神境内
- https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130502/13175919/
日本最古の駄菓子屋「上川口屋」
境内には駄菓子屋さんがあったのだけど、なんとこの駄菓子屋さん日本最古。お店の看板には『創業一七八一年』とあって、つまり創業から230年以上がたち、230年前って・・・江戸時代!
もうひとつ有名なことがあって、この駄菓子屋さんはジブリ映画の「おもひでぽろぽろ」に出てくる駄菓子屋さんのモデルなんだとか。宮崎駿監督ここに来たのかな〜!
今回訪れたときは、時間がギリギリで急いで参拝したので上川口屋さんを覗くことができず〜!時間に余裕を持っていかなきゃダメに決まってるのにね、とっても残念。
【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1はこちら
ウイルス感染症拡大防止に向けた国や自治体からの要請により、営業時間などが変更になっている場合がありますのでご注意ください。
スポット情報
上川口屋
- 非公開
- 10:00-17:00定休:なし(天候が著しく悪い日は休み)
- 東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20
- 鬼子母神境内
- https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130502/13185770/
タイムスリップした数時間『法明寺・鬼子母神』
時間に限りがあり、思う存分に散歩ができなかったことに悔いは残るけど、法明寺・鬼子母神をめぐり数時間でもタイムスリップできたことは確か。歴史ある場所を訪れると、ワクワクとともになぜか怖い気持ちにもなるのだけど、この怖い気持ちはお化けだとかそんなバカみたいなことではなく、例えば本当に江戸時代なんていう昔の日本が存在したんだ…という確信を得るから。昔の日本は嘘だ!なんて言う疑いは一切ないけど、実際に見たり触れたりしないと実感なんて1ミリもないから、やっぱり本物を見たり触れたりしないと事実として受け止められないことも多いと思う。そして、事実を得たときに『本当だったんだ…!』と怖い気持ちになってしまうんだな〜。だから終始ゾクゾクしっぱなしの法明寺・鬼子母神散歩でした。
これから春になるし、あたたかい天気のなか散歩するには十分に楽しめる場所だと思うよ。桜もきれいなんだって、春の一帯も見てみたいね!
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