【東池袋駅】造幣局東京支局跡地はどうなる?豊島区東池袋のあの地がこうなる!壮大なプロジェクト
池袋駅東口を出て、さらにサンシャインを超えると豊島区内で他には存在しない規模の広大な土地があります。開発途中で、隙間から中をうかがうことはできる程度で、まさに工事現場的な壁に覆われているけど、この土地は造幣局東京支局の跡地なんです。
池袋は都市開発が開始されてどこもかしこも工事が進んでいるけど、今回は造幣局東京支局跡地をご紹介します。
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造幣局東京支局跡地、ほぼなくなってた。(サンシャイン文化会館5階喫煙所より撮影) pic.twitter.com/WVVDxeT8YE
— マーライオン (@merlion1971) 2017年6月7日
豊島区東池袋 造幣局東京支局跡地再開発地区の解体状況(2017年7月1日)https://t.co/9nsA5hUvkS pic.twitter.com/BeyCVLAMyi
— 再開発 4K Video (@Skyscraper_Vlog) 2017年7月6日
造幣局東京支局があった東池袋4丁目
2016年10月に閉鎖された造幣局
2016年10月に閉鎖された造幣局。移転後の現在は、埼玉県さいたま市大宮区(最寄駅だとさいたま新都心駅)で造幣局さいたま支局として操業しています。ちなみに、さいたま支局も三菱マテリアル総合研究所跡地(一部)を開発したものだそう。
つまり、池袋にあった造幣局東京支局の土地を豊島区へ売却し、移転先となるさいたま市の三菱マテリアル総合研究所跡地を購入したということです。売値や買値は不明ですが、何百億のお金が動いてるってなんかこわい。
池袋の造幣局東京支局は1939年から操業し(当時は地名が異なる)、空襲で全焼した後も約1年弱で再開、以来ずっと貨幣を製造し続けてきました。
そもそも造幣局とは?
造幣局とは、その名の通り貨幣を製造するところ。貨幣を造っているので紙幣は造っていません。紙幣は国立印刷局で造られ、都内には北区に工場があります。
造幣局の歴史は当然ながら古いもので、1869年に太政官(司法立法行政を司る最高国家機関:1885年内閣発足で廃止)に設置され、1871年に大阪で開業されます。現在も大阪が造幣局本局ですが、当時大阪に本局が置かれたのは貨幣製造機器がイギリスから運ばれた際、日本の首都が東京か大阪か決定していなかったためにそのまま大阪に置かれたのだそう。(参考:http://www.sssc2011.org/rekishi.html)
以降、大阪本局を拠点として現在は広島県広島市と埼玉県さいたま市に支局があります。
本題!造幣局東京支局跡地はどうなる?
ドーンと広い土地がポッカリ空いた状態になっている造幣局東京支局跡地ですが、土地面積約3.2ヘクタールの広さで東京ドームが約4.7ヘクタールなので、その広さは想像つくことよね。この広い土地はこれからどうなるのかワクワクする〜。
(仮称)造幣局地区防災公園
豊島区の造幣局地区街づくり計画に基づき、災害に強い文化と賑わいを創出する活力ある街づくりの推進を目的に、造幣局跡地の東側約1.7ヘクタールに防災公園ができるのだそう!
完成する公園のイメージはまだ発表されていませんが、公園内のエリア区分けは公開されており、2019年度中の完成が目標で、運営開始は2020年を目標としているようだよ。
東京国際大学の新キャンパス
埼玉県川越市にある東京国際大学が、造幣局跡地に「池袋国際キャンパス」を開設することが決定しました。3,500人の移転を予定している、こちらも大規模な計画。完成予想図は公開されており、2023年9月に開校予定だそう。
川越キャンパスと池袋国際キャンパスは、東武東上線・有楽町線一本で接続できる立地ですし、東京国際大学の人気が爆発する予感。
「消滅可能性都市」脱却を目指して
造幣局跡地の計画は着々と進んでいるようで、池袋がさらに住み良い街になるためにがんばっている途中ということ。
今回は、造幣局東京支局跡地の計画を紹介しましたが、池袋はいま開発に乗り出し、23区で唯一の「消滅可能性都市」脱却を目論んでいる最中で、まだまだ他にも推進中の計画があるよね。
ちょっと先だけど、ほんのちょっと先。もう少ししたら、池袋が生まれ変わるということで、楽しみでならないね!
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